占いと化学と己の直観|裕子の艶言葉 #50
俗に言う「占い」。
占星術、易経、カバラ、数秘術など…世の中には色んな角度の占いと呼ばれるモノがあります。
あたしは自分なりにその基礎を落とし込み、そこから学問として心理学も学び、結果として今は自分の動物的本能と直感力を信頼し、基本的な宗教観は別として、占いや過度なスピリチュアルには頼らなくなりました。
もちろん若い頃から神秘的なことは大好きだったので、視える系の人を尋ねたり、当たると評判の占い師の所へ遠征したりと、占いジプシーをしていた事もあります。
しかし、その当時は毎日悲しく、苦しく、自分で判断が出来ず。何かに依存し、頼らないと答えが出せない、すべてが言い訳だらけで、いつも砂漠で喉がカラカラの、まさに彷徨えるジプシーだったのです。
そして、経験と知恵を得て動物的直観を信頼できる自分の軸ができた頃、そういうことに頼りきって生きてきた自分の環境や人間関係にも疑問を持つようになります。
悪いことは星のせい、良いことが起きれば己のおかげ、の雰囲気にハテナを感じ、激しい自己啓発的な思想の雰囲気にもドンっと疲れが出ました。何事も「これが無いと生きていけない」という状態になるのがイヤなんです。
そんなジプシーも散々して、自分でも満足するまで学んだ最終的な結論は「答えはすでに自分の中にある」です。本当にやりたいこと、得意なこと、その人が好きか嫌いか、どこに行きたいのか、すべて答えは自分の中にあるんです。そう、本人が気が付いていないだけで。
占い的なモノは、人の心の扉を開いて、答えを導き出すきっかけにはなり得ます。ただし、それに依存しすぎると物事を判断できず、動物的な直観力が鈍る可能性が大きいです。それはとてももったいないことです。犬の鼻が効かなくなるように。渡り鳥が飛べなくなるように。猿が木から木へ飛び移れなくなるように。とてももったいないです。
カウンセラーの技術「傾聴」も、そういう答えを導き出す作業。相手の心に寄り添い、共鳴して、答えを表面に浮き彫りにさせるという作業であり技術です。
心を開ける友人と話している時にも、なんだか乗ってきてグングンと自分の口から答えが導き出される時ありませんか?「あれ?自分は本当はこんな事がしたかったのか!」「あれ?本当はこんな事が嫌だったのか!」と。
そういう心を開く鍵となる人とは、同じ言葉を同時に発言したり、離れているのに同じ行動を取っていたり。不思議な偶然が続くと、恋愛対象の相手ならば恋に落ちることはいとも簡単。もちろん聞いている感じは怪しくも神秘的なのですが、これはもう名だたる心理学者達が発見しているれっきとした科学。
それが俗に言う「シンクロニシティ」。
共鳴しちゃうんですよね。バラバラの振り子がどんどん揃っていく実験もそう。たくさんの鳥が一斉に同じ方向へ向きを変えたりするのも、そういう現象に近いのでは無いのかなと思っています。
そしてこちらただいま絶賛!腸内環境整え中なのですが、きっと腸内環境の菌や皮膚を取り巻く常在菌が良い働きをしてくると、その菌と調和する菌の人やモノが出逢いたがっていくのだと感じています。磁石に砂鉄が引き寄せられる様に。
それが本当の「類は友を呼ぶ」だと思います。
ちなみに占いと呼ばれるモノにもカウンセリングにも科学的な根拠や歴史もあるので、自分で気がついていない答えを知る判断のきっかけにはなります。しかし「死」や「生」と言った逃れられない苦しみはどうすることも出来ません。
そのために数多の宗教があり、宗派があり、人間が生まれて死ぬまで、さらに産まれる前のことや死んでからのこと、はたまた宇宙のことも読み解いてくれているのでしょう。
艶小噺
大好き!な梅肉エキス。その特大サイズをプレゼントしていただきウハウハです。強烈な殺菌効果により風邪やインフルエンザ予防はもちろん、食あたりにも効果テキメン。体内を巡る歯周病菌も制御してくれるので、歯茎から血の滲むお年頃の方々は、ぜひ。
どうしても苦手…と言う方は錠剤の梅肉エキスもあるので、そちらを継続的に試してごらんなさいな。(ただし液体の方が吸収と効果は早い)