Kan Sanoの音楽的ライフ【観ずる日々】第45回:コラージュから練習へ
昨年末から作り続けていたコラージュのスケッチブックのページが4月にすべて埋まり、小さな達成感と共にひと段落したので、最近は久々にピアノの弾き語りの練習を再開している。歌とピアノの練習に集中していると、その時間だけは他のことを忘れて没頭できるので、これはメンタルにもなかなか良いなと、今更ながら実感している。作曲や楽曲制作も没頭できる時間ではあるが、創作過程で産みの苦しみが常にともなう。良い曲ができない時期が続くと落ち込んでしまいがちだ。その点、練習には産みの苦しさが無いからシンプルで良い。自分の技術の未熟さが嫌になることはあるが、練習を続ければ多少は上達するし、その成果を具体的に実感できる。
技術を磨くには、オリジナル曲よりカバー曲を練習するのが良い。オリジナルだと自分ができること、得意なことに落ち着いてしまいがちだ。カバーならただただ純粋に自分の技術、表現力、アレンジスキルを磨くことに集中できる。「弾き語り」というのは日本独特の言い方で、英語には同じ意味の言葉がない。そもそも歌うのに何故「語り」というのだろうか。そこには昭和のフォークっぽい匂いがなんとなく漂っているが、それも意外と嫌いではない。僕は弾き語りの時はかなりソフトに静かに歌うので、「歌う」より「語る」「囁く」「呟く」と言った方が近い気がする。だから「弾き語り」という言葉になんとなく愛着があるのかもしれない。
リスナーとしてもパフォーマーとしても弾き語りと言う形態が昔からかなり好きだ。レコードショップに行くと弾き語りのLPをいつも探している。ピアノの弾き語りでいま一番影響を受けたいと思っているのがNina Simone。Netflixで見たドキュメンタリーが素晴らしかった。あの表現力と技術を少しでも自分の中に取り入れたい。