
無礼者の被害者ヅラ|裕子の艶言葉 #86
酒が入れば心も開く。金沢屈指の名門クラブに在籍し、現在は木倉町でワインバーを経営する裕子さんの酸いも甘いも知り尽くした人生談義。酒席で老若男女の心の声に耳を傾けてきた夜の蝶ならではの言葉は、まるで美酒のごとく身体の奥まで沁みわたります。
なんて想像力が欠如していて無礼なんだ?!そう思わずにはいられない、びっくりするような話を時おり耳にします。
誰しも、人知れず苦しい思いや苦労を抱えて生きているはずなのに、「自分だけが不幸、あなたは豊かでズルい」と妬み、あまりにも失礼な態度を取る人がいます。
若い頃に間違えて失敗してしまい、それに気づいて反省しているうちはまだ救われます。けれど、不幸合戦のように、大人と呼ばれる年齢になってまで自分だけが被害者だと訴え続ける人もいる。そうなると、もう救われません。
優しい人は、そんな“被害者の皮をかぶったズルい人”に搾取されます。ズルい人たちは、「この人なら搾取できそう」という嗅覚が鋭い。
まるで獲物の死を待つハイエナのように。(ハイエナ……悪い例えにしてごめん。)
そして、そんなズルい人に一度エサを撒くと、さらにグイグイ寄って来ます。「それ見たことか、こいつからはもっと搾り取れるぞ」と。
搾取されるものは、もちろん金銭や物品だけではありません。相手の優しさにつけ込んで、その人の人脈をまるで自分の人気のように振る舞ったり、酷い態度を取りながら自分の立場を優位にして優越感に浸る、いわゆるマウントもそうです。
酷い言葉を吐きかけられても、その後抱きしめられたら許してしまう。DVやモラハラの関係性も同じです。相手は「自分の方がかわいそうだ」「お前は弱い、自分は偉い」と、本来は弱すぎる自分の立場を守ろうとする。
弱い犬ほどよく吠える。よく言ったものです。(犬……悪い例えにしてごめん。)
先日、あたしの大切な友人に対して、酷い態度を取る人がいました。その態度が向けられるのは、その友人にだけ。ほかの人には普通です。
その友人は、明らかにその人から、金銭ではないものを搾取されていました。あたしは、大切な友人に無礼な態度を取るその人を心から軽蔑しました。そして、そうしないと自分を守れないその人に、どこか哀れみも感じました。
もう二度と会うことはないでしょう。
搾取されている優しい当人たちには、どうかそれを断ち切る強さを持ってほしい。違和感を覚える相手には、優しさを見せなくてもいいんです。
そんな相手の言うことを聞き続けるのは、鳩にエサを撒きながら「鳩が嫌い!糞をしないで!あっちに行って!」と言っているのと同じです。
エサを撒いた本人の責任になります。(鳩……嫌いの例えにしてごめん。)
糞まみれになる前に、エサを手放して、その場から立ち去ってください。それでもエサを手放せず、その場に居続けてしまうのだとしたら、少し考えてみてください。「なぜ、明らかに嫌な思いをしているのに、ここから離れられないのか」と。
きっと、その人たちにも、ズルいその人(その場所)への強い依存があるのでしょう。
「求められている自分」
「エサを撒いて、周りから優しい人だと思われたい」
そういう気持ちです。
「辞めたくて仕方ないけれど、この会社は自分がいないと潰れる」→あなたがその会社にしか居場所が無いと思い込んでいるだけ。
「暴力的な彼氏だけど、自分がいないとこの人はもっとダメになる」→あなたがそうさせている(鳩にエサを撒いている)可能性大。
人間関係は、化学反応です。関係性によって、自分や相手が輝くかどうかは、大きく変わると思います。
ちなみに、長年人間関係に苦労してきたあたしが気づいた、人間関係の選び方。それは「その人と居る時の自分が好きかどうか」です。
ジェットコースターに一緒に乗っているようにアドレナリンが出過ぎている状態だと、訳の分からない興奮の中で、すっかり勘違いしてしまいます。
ぜひ、客観的に。穏やかで冷静な時に、こう感じてみてください。
「今、この人と居る時の自分、好きかな?」と。
艶小噺
去年から親友の勧めで始めたキックボクシング。
そんなに激しい事が出来るのか?と恐る恐る始めてみたものの、ものすごく楽しい。
過去の数年間、筋トレも励んでいたのですがどうしても辛くて行くまでが億劫で。自分の根気の無さが露呈する数年間となりました。
それに比べるとキックボクシングは全身運動でありながらも楽しさが勝る、まるで踊りに通じる良さがあります。
先生のエスコートにより、わーきゃー!と叫びながら大笑いしながらオフィシャルに思い切り人を殴る蹴ると言う新しい世界のストレス発散。
そしてなんと、あたしの日々の飲酒や運動不足による酷い浮腫みが一発で解消されるんです。
年末年始少しサボっていたのですがまた再開。チャレンジしてみたい方は、ぜひ‼

