金沢は「北陸の小京都」じゃない?金沢が小京都をやめた理由
金沢は小京都か?
かねてより金沢という街は、その伝統文化や街並みを称して「小京都」という冠で語られてきた。確かに、和菓子や茶屋街、伝統工芸の継承、地の野菜や懐石料理の発達、川の流れる街並み、戦禍をまぬがれたこと…共通点は多い。
そうだ、京都、行こう。けど、なんか定番すぎるし、ちょっと遠いし、混んでそうだな…。
やっぱ。金沢にしとこう。小京都なんだし。なんか、アートとか雪とか蟹とかイイと聞くし。
外から金沢という街を見たとき、「北陸の小京都」というくくりで語られがちだ。
しかし、この「小京都」という看板を「金沢が自らが外した」。ということを意外と知らない地元民も多いのでは?
今回は、「小京都」という通りの良い商売道具を、なぜ金沢は葬ったのか?そのワケに迫る。
「小京都」ってなんだ?
実は「小京都」と名乗るためには『全国京都会議』という団体に参加する必要がある。「小」とは言え「京都」と勝手に名乗っちゃいけないのである。
『全国京都会議』に加盟するためには、
①京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある
②京都と歴史的なつながりがある
③伝統的な産業、芸能がある
の三条件に一つ以上当てはまることが求められる。
2019年6月現在、全国43市町が「小京都」と名乗ることが公式に認められており、そのなかには秋田県角館市や広島県尾道市、佐賀県伊万里市など、全国有数の観光都市の名が。北陸では、曳山や絹織物で知られる富山県の城端町も「小京都」を名乗ることが許されている。
実は、金沢もかつては『全国小京都会議』に加盟していた。しかし2008年に退会。
退会理由は、PR方針の変更・都市の成立基盤の違い。
地域ブランディングの方向性を明確にし、「京都らしさ」という売りを捨てることで、独自の観光都市の形成へ舵を切った。
よくよく見ると「京都に似てない」
金沢という城下町は、「古都」として1000年をこえる歴史をもつ京都と比べれば、若い街。そして文化的には、公家を主体とする京都に対して、金沢は前田家という武士の文化。
街並みも、碁盤の目状の京都に対して、金沢の複雑な道なりはさながら迷路。地元民でも、たびたび迷子になるほど。街の構造としては京都よりもむしろ江戸に親しみを覚えるという金沢の人も多い。
ならば「小京都」よりも「小江戸」か?いいや、コッチは唯一無二の「大金沢」じゃ!
とか言うと、角が立つので…。
ただ、京都と真っ向勝負したり、その傘に入ったり、は卒業です。京都とガチ喧嘩したらボコボコにされるに決まってる!
なにより、金沢は、国の『歴史まちづくり法』にもとづく、歴史まちづくり認定都市としては、京都よりも10ヶ月早い2009年1月に認定を受けた。京都より早いよ!コレ、憶えておこう。10ヶ月だけど!
貴方は右へ、私は左へ。このような歴史的経緯を踏まえて、実は京都に似ていない金沢は「小京都」ではなくなったのだ。
独自の世界都市を目指して
1995年に策定された「金沢世界都市構想」では、小さくても世界の中で独特の輝きを放つ「世界都市 金沢」の形成がうたわれている。
世界的な経済や政治の中心にはなれなくとも、歴史と文化にあふれたオリジナリティのある尊敬に値する街。保存と開発の調和のとれた世界都市を目指す金沢。茶屋街や兼六園を守りつつ、斬新な駅前広場や革新的な美術館を造り、ますます独自の都市形成を続ける金沢という街には明るい未来が待っている!はず!
京都は大バッハである
ここで、唐突にバッハのお話。
バッハの旋律を夜に聴いたせいです、こんな心。
みなさんご存知の大作曲家バッハですが、実は何人も存在する。
一族総出の作曲家家系それがバッハ家。
バッハ家でもっとも高名なのは『G線上のアリア』などで知られるヨハン・セバスチャン・バッハ。彼は「大バッハ」と呼ばれる。
バッハ家は、その先祖や末裔にも多くの作曲家を生んでおり、彼らは偉大なる「大バッハ」と区別して「小バッハ」とか呼ばれたりする。
という感じで相当無理やり「小京都」問題っぽく切り込んでみた。
きっと、「小バッハ」のみなさんも、あまりに飛び抜けた存在の「大バッハ」に追いつけ追い越せの意気込みで作曲に励んだはずだ。そして、いつからか「小」であることを自認しつつ、独自の曲を奏でていったに違いない。大でも小でもグランデでもないぜ、俺バッハという感じで。
まさしく金沢の目指すところもソコ!大でも小でもない、たったひとつの「金沢」へ。
(文章/山本真己)