やり過ぎ注意警報!|裕子の艶言葉 #57
痩せたいからとトレーニングをし過ぎたり、健康に良いからと玄米を食べ過ぎたり、みんなを助けたい!とスピリチュアルになり過ぎたり、愛しているからと、おせっかいが過ぎたり。一般的に良いとされている事も「過ぎる」と、くどくなります。毒になります。 悪い、とか、良い、とかでは無く、その人そのものがくどくなります。毒になります。
お酒を含むヘルシーでは無いと言われるものも、適度ならばリラックスや食欲を湧かせてくれる薬に。過度ならばもちろん猛毒に。心の作用も同じく、嬉しいも「過ぎる」と必ず落ち込みが訪れます。悲しみも「過ぎる」と這い上がれなくなります。なので、喜び過ぎず、悲しみ過ぎず、海の凪の様に穏やかな心の状態が望ましいのです。仏教の教えで中道と呼ばれる所に近いでしょうか。
自分の若かりし頃を思い起こすと、嬉しいも悲しいも常にジェットコースター。吐き気をもよおすほどの緩急で情緒がぶっ壊れ続け、それでも破滅的な時期ですので、そのジェットコースターから降りようとしませんでした。やっとジェットコースターに疲れ、嬉しいをゆっくり噛み締める、悲しいをゆっくりと受け入れる。そんな風に意識的に出来るようになったのは年の功。それでも「うれしい!」「悲しい…!」と自分の心に向き合い、言葉に出来る素直さは持ち続けたいと思っております。
今、悲しいあなた。その悲しみや悔しさを我慢し続けずに、何かに表現してみて下さい。歌でも良い。文章でも良い。料理でも、スポーツでも、それをネタに面白おかしく人にお喋りとして提供するでも良い。生産性のある事で、その悲しみを表現してみてください。ただただ一人、悲しく泣き暮れるのでは無く、表現してみてください。きっとそれによって誰かが救われたり、自分の悲しみを昇華出来るひとつのステップになるかと思います。
あたしはこうやって文章を書く事やサンキャッチャーを作る事、そしてワインをいただきながら大変だった事をおもしろ話としてお話させてもらう事で、悲しい事や辛い事を昇華しています。
今夜もそんな話をしながら美味しいワイン、飲みましょう。
艶小噺
娘が単身、ドイツへ旅に。多感な10代の時期に異国の地へ行く事は、母としてさせてあげたい事のひとつでした。毎日が新鮮で楽しそうな姿を写真や動画で見ると、自分の事以上に喜びを感じ、パワーが湧き上がります。誰かを養育すると言う事の真骨頂は、こういう事かもしれません。