Kan Sanoの音楽的ライフ【観ずる日々】第54回:これでいいのだ
金沢市出身のキーボーディスト/プロデューサー・Kan Sanoが綴るエッセイ。新世代のトラックメーカーとして支持されるアーティストの音楽的ライフを覗いてみよう!
このコラムやnoteの不定期ラジオで、備忘録も兼ねて度々メンタルについて記録してきたが、これは自分自身の変化を確認するためにとても有効的で、改めて続けてきて良かったなと思う。過去のコラムを読み返すと、遠い日の出来事や心境から自分がどんどん離れていっているのを実感するし、なんだか他人事のように思えてしまう。その少しドライな距離感に何とも言えない寂しさを覚えつつも安心している。
昨年の自分の状況を振り返ってみると、今とは随分心境が違っていて興味深い。小さな変化も積み重ねていくと大きな変化になるのだと実感する。ライブ活動を休止した1年4ヶ月前はかなり落ち込んでいたが、その後も昨年の春頃まではまだ不安定だった。夏頃から徐々に穏やかになり始めて、久々にライブをやったのが10月。その後、5ヶ月経った今メンタルは更に穏やかになっている。
微妙な浮き沈みの変化は毎日あるので、この5ヶ月の間も落ちていた時はあったが、大きな流れで見てみると良い方に向かっている気がする。良くも悪くも、昔の自分の気持ちをいつの間にか忘れてしまうようだ。たった数ヶ月前のことでも結構忘れている。落ちている時はこの状態が永遠に続く気がしてとにかく辛かった。そのことは覚えている。
歳を取るとはこういうことなのか、と腑に落ちる。鬱々としていた日々のことも、いずれはすっかり忘れて、老後をのんびり楽しんでしまうのだろうか。それもいいのかもしれない、と最近は少し思う。鈍感力、もしくは忘却力とでも言うのか。悲しい気もするけれど、これは人が生きる術なのかもしれない。少なくとも、このメンタルと身体の健康を維持しながら生きていくために、必要な力なのだろう。であれば、大いに忘れていってやろう。忘れて何が悪い。
「これでいいのだ。」
生きることを全肯定する最強の言葉。赤塚不二夫、すごい。