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それってキモチイイ?怒りっぽい人と怒らない人の違い|裕子の艶言葉 #78

酒が入れば心も開く。金沢屈指の名門クラブに在籍し、現在は木倉町でワインバーを経営する裕子さんの酸いも甘いも知り尽くした人生談義。酒席で老若男女の心の声に耳を傾けてきた夜の蝶ならではの言葉は、まるで美酒のごとく身体の奥まで沁みわたります。

 

「怒らない人ほど怖い」、とよく耳にしますが、あれって都市伝説では無いような。

 

たとえば、今のあたしはあまり怒らなくなりました。でも、そんなあたしが怒るとしたら…。あまりにも理不尽な扱いをうけたとき、コントロールという名の支配や束縛をされそうになったき、あるいは過去や他人への執着がネガティブすぎて、周りに迷惑をかけられたとき。

 

「なんなの、イラつく」くらいなら、こちらが距離を取ればそれまで。そもそも他人に期待していないし、あたしはいつも“身体の反応(直感)”を頼りに動いてる。他人軸で判断することがないから、怒りにまで発展しないんです。

 

娘に対してはよく怒ってきました。それは「こうなってほしい!」というエゴに突き動かされたがゆえ。娘をコントロール(支配)しようとして、感情的に声を荒げていたことを、今では猛省しています。

 

「期待通りにならなかった、裏切られた…」

「相手をコントロールできなかった無能な自分…」

 

エゴで相手を縛ろうとすると、最後には自分の首を絞めることになるんです。

 

自分の力量を知っている人は謙虚です。謙虚であれば、そう簡単には怒れません。怒りっぽかったあの頃のあたしは“傲慢”。しかも、その「ルール」ですら、親や社会から刷り込まれた思い込みだったりして。今はそこにも気づいています。

 

怒って人を裁くとき、人間は快楽を感じます。

 

「正義」という鋼鉄のナタを持ったつもりで、ブンブン振り回して、どんどん気持ちよくなっていく。だって、「正義の味方」だから。誰にも責められない“はず”の存在だから。

 

でも、そんな正義のナタがいちばん怖かったりします。

 

周りが見えなくなって、自分が人を傷つけていることに気づかなくなる。怒っているその件だって、本当は自分とは関係ないかもしれないのに。もしかすると戦争って、そんなふうに始まるのかもしれません。

 

だから私は、正義のナタを振り回してる人にも、あえて関わりません。注意もしないし、非難もしない。ただ、静かに距離をとるだけです。

 

怒りやルールで他人を裁く人を見ると、「みんなの前で大きな声で怒って、気持ちよくなりたいんだなぁ」と思います。ストレスが溜まってるのかも。きっと、自分をちゃんと癒せてないんだろうな。そう思うと、怒ってる人って…ちょっと気の毒で、でもどこか“可愛い”って思えてきます。

 

でも、いちばん怖いのは、何も言わない人。

何かが起きても黙っている人は、自分の心を守るため、あるいは面倒を避けるために、スッと心の境界線を引くのです。

 

飲食店にいる立場として言うと、もしお店側にミスがあったとき、大声で怒る人はまさしく“気持ちよくなりたいだけの“可哀想で可愛い人”。やんわりと指摘してくれる人は、お店に愛がある人。なぜなら、もっと良くなってほしいと思ってくれているから。でも、何も言わず「また来ますね〜」と笑顔で帰って、二度と来ない人が、やっぱりいちばん怖いです。

 

いつもどこか抜けてるSankakuですが、どうか笑って、許してくださいね♡‼︎♡

 

艶小噺

45歳のお誕生日を迎えました。

負け惜しみでは無く心から、今の自分がいちばん好きです。

 

若い頃には戻りたくありません。多感すぎて敏感過ぎて、自分軸で事を選ぶのが不安で、生まれ持っての過剰なサービス精神により愛だ恋だに振り回されて。年齢を重ねるごとに自分の選択の結果が全て現れます。

 

40歳を過ぎた頃から人生を逆算する様になりました。

 

残りの人生、どう過ごしたい?誰と過ごしたい?

とても大切な課題です。

 

Level45の裕子も、どうぞよろしくお願いします。

 

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