【観ずる日々】第6回:コロナと自粛とSNS
新世代のトラックメーカーとして注目を集める金沢市出身アーティストKan Sanoの音楽的ライフをちょっと覗き見。
このタイミングでコラムを更新するのはなかなか辛いものがある。常日頃ネガティブな発言は避けるようにしてるが、最近のコロナ感染からライブ自粛への流れは3.11直後を思い出すし、どうにも気が落ち着かない。ひと言書けば溜まった膿がすべて溢れ出し醜い文章になってしまいそうだ。
2月、3月は元々ライブ少なめ&制作多め月間だったので、現時点ではほぼ予定通りのスケジュールで自宅作業を続ける日々。こういう時引きこもりは強いなと思う。今イベントを自粛すべきか否か様々な意見があるが、個々のイベンターやアーティストに決断が迫られるのはなんとも厳しい。
自粛と同調圧力の違いはなんだろう。イベントを続ける人、中止にする人、どちらも責めることはできない。流れてくる情報を鵜呑みにするのではなく、何が正しいのか、真実はどこにあるのか、自分はどう思うのか、しんどくても見極めることを諦めてはいけない。
Twitterを眺めていると、1000人程フォローしているにも関わらず特定の数人ばかりが毎度タイムラインに現れる。この半年ほど僕のTLは柳樂光隆と竹田ダニエルでほぼ埋め尽くされている。
先日半ば自嘲的に「僕は和製◯◯と言われてます」とツイートしたところ、そのあと褒め言葉のように「Kan Sanoさんは和製◯◯ではなく和製◯◯だと思います」とコメントしてきたり、「Kanさんに似たアーティスト、他に教えてくれませんか?」と聞いてくる人がいた。まったく想定外の反応で驚いてしまった。きっと悪気はないのだろう。僕にとって人を誰かに喩えることは無意味かつ滑稽なことで、さらにそれを本人に直接伝えるなんて考えられない失礼な行為なのだが、世の中にはまったく違う感覚の人もいる。しかも意外とすぐ近くに。自分の意思ははっきり表さなければ伝わらないのだと改めて痛感した。行間に込めたこちらの意図をすべての読み手に理解してもらうのは難しい。一方的に送られてくるインスタのDMに心を乱されることもある。SNSはやっぱり怖い。使えば使うほど怖くなる。
Twitterは始めて10年経つが使い方は年々慎重になっている。いつからか政治の話は控えるようになってしまった。そもそも政治的発言という言葉自体がおかしい。誰だって政治の話をしていいし、当たり前のことなのに。言いたいことが言えない空気が漂う社会は不健全だし危険だと思う。僕がSNSに感じてる窮屈さ、空気の悪さは結局社会に感じてるものだと思う。先日インスタで「感性はどうやって磨きますか?」と聞かれた。「日本で暮らしていると、感性を磨く以前にまず感性を失わずにいることが難しいです。」と答えた。
僕にとってはコロナより花粉症が身近な大問題だ。毎日家に引きこもっても、薬を飲んでも、鼻水は止まらない。パラサイトのような地下室が本気で欲しい。
最近のお気に入りは児玉奈央さんと作ったMV。MVはプロモーションのために制作されるが、出演する本人にとっては生きた証、記録でもある。大好きな奈央さんと一緒に映像を残せたのはとても嬉しい。音楽や映像は意図せず時代の空気をパッケージしてる場合がある。このMVを10年、20年後に観た時、何を感じるのだろう。
最近のライブ映像。こちらも大切な記録。
久々の新曲はJ DillaとNujabesに捧げました。
プロデュースさせて頂いたiriさんの新曲。
プロデュース、リミックスワークはなるべく自分の作品でできないことや、初めての試みを取り入れるよう心掛けている。そこで得たものをまた次の創作に反映していく。
読み返したら暗すぎて笑ってしまった。大丈夫です、元気です。来月は音楽の話ができればと思います。
◯Kan Sanoの音楽的ライフコラム【観ずる日々】
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執筆者プロフィール
Kan Sano
石川県金沢市生まれ。キーボーディスト/トラックメーカー/プロデューサー。バークリー音楽大学ピアノ専攻ジャズ作曲科卒業。国内外のアーティストのライブやレコーディング、コンピレーションに多数参加するほか、自身名義の最新アルバム「Ghost Notes」が好評発売中。