まさか街の片隅で。世界的芸術家の作品を展示するフシギな掲示板の正体。
掲示板というと、ネット上の匿名掲示板を思い浮かべる人も多いと思います。
しかし、それは古くから日本人が情報交換をしてきた町やお寺などの掲示板に由来するということは、誰もが想像できるはず。
今では「掲示板」という言葉が本来の意味と直結しないほどに、私たちにとっては当たり前のものであり、日々の中でスルーしてしまいがちな存在なのかもしれません。
金沢市高岡町の雑貨を扱うセレクトショップ『niguramu』の壁沿いに、不思議な掲示板があるのをご存じでしょうか。
イベントのお知らせが貼ってあるわけでもなく、神のお言葉が掲げられているということもありません。
ガラス面の中には、時にユニークな絵や大判の写真が飾られ、時にステッカーが貼られていることも。
実はこちら「Keijiban」というアートプロジェクトを行う、小さなギャラリーなのです。
日常の中に潜む、著名アーティストの作品
デニコライ&プロヴォースト 、Keijiban、2022年9月15日 – 2022年10月14日 (Photography by Nik van der Giesen、Courtesy of Keijiban and the artists)
2021年3月からこの取り組みは開始され、間を置かずほぼ1カ月おきに入れ替えながら展示を続けてきました。
展示される作品は、現代アート界の大御所と言われる芸術家や海外で絶大な人気を誇るアーティストの作品ばかり。まさかこんなひっそりとした街の片隅で世界的なアーティストの作品展示を行っていることなど、道行くほとんどの人は思いもしないでしょう。
コンセプチュアル・アートで現代アート界を牽引してきたローレンス・ウィナーやライアン・ガンダーはご存じの方も多いかもしれません。彼らもまたここで展示を行ったアーティストのひとりなのです。
中でもローレンス・ウィナーはKeijibanでの展示を2週間後に控えた2021年12月に享年79歳で息を引き取りました。
逝去後に展示が行われたため、その時の作品「ENOUGH」が最後の作品だったとも言われています。
ローレンス・ウィナー 、Keijiban、2021年12月15日 – 2022年1月14日(Photography by Nik van der Giesen、Courtesy of Keijiban and the artists)
プロジェクトは作品の展示だけではありません。
実は展示期間が終了した後、必ずKeijibanのオンラインショップでそのアーティストのエディション作品が販売されるのです。
エディションとは部数を限定し販売される版画のことを指します。
Keijibanではオリジナル作品をプリントしたポスターが主ですが、時にてぬぐいやジグソーパズルといったユニークな作品もラインナップされます。
それぞれにエディションナンバーがふられていて、そのナンバーはアーティストが許可した証明として希少価値が付与されていることになります。
日本ではまだ馴染みのないエディションですが、海外ではこのエディションがアート市場の大きな存在になっているようです。
アートは普段の生活の中にあるものだと伝えたい
ここからは、このKeijibanを企画したオリビエ・ミニョンさんにお話しを伺いたいと思います。オリビエさんはベルギー出身で、現地の大学・大学院で美術史を学んだあと、仲間と共にアートプロジェクトのキュレーションなどを行うチームで活動されていたそうです。
アナ・ジョッタ、Keijiban、 2021年6月15日 – 7月14日(Photography by Nik van der Giesen、Courtesy of Keijiban and the artists)
掲示板を題材にしようと思ったのはなぜですか?
オリビエさん
実は僕、掲示板マニアなんです。だからこの企画のために掲示板を使おうと思いついたわけではなくて、日本に初めてきたときからずっとその存在が気になっていました。形もいろんなものがあって、思っている以上に数がたくさんあるんです。
えっ!掲示板って、海外では珍しいものなんですか?
オリビエさん
ないというわけではないのですが、圧倒的に数が違います。欧米では学校や教会の前にあるくらいですが、日本ではそういった場所以外に町内会や交番、お店の前など至るところに掲示板があるんです。ほとんどの通りにあると思いますよ。自動販売機よりも多いんじゃないかな。
そんなにあるものだとは知りませんでした。
オリビエさん
すごくおもしろいのに日本人には全く気にされていないんですよね。それが残念だなと思っていたので自分で写真を撮りためていたんです。それから、いつかこれをアートプロジェクトで使いたいと思うようになりました。
美術史を通して、あらゆるものをアーカイブすることの大切さを学んだと話すオリビエさん。
Keijibanは街中にあるアートではありますが、いわゆるパブリックアートとは意味合いが全く違うもののような気がしています。
オリビエさん
そうですね。Keijibanでは「これはアートですよ」という感じは出したくないんです。公共の広場とか公園にある銅像や彫刻のためにあるスペースとは逆で、もっと地味なものでありたくて。それで、気づいた人に“お得”になる、という存在でいたいんです。
掲示板にはプロジェクトの説明書きなどもなく、作品の内容とQRコードが小さく記されているだけですよね。
オリビエさん
説明書きはつけようか考えたのですが、とても特別なもののように見えてしまいそうだったのでやめたんです。知っている人がわかればいいし、知らない人に「なんだろう」と思われることこそが一番嬉しい。アートに興味のないおばあさんが、ゴミ出しをしている時なんかにふと気づいてもらえたら最高です!
展示される作品は海外のアーティストのものばかりですよね。
オリビエさん
そうですね、国籍に関わらず全て海外に住んでいるアーティストの作品を選んでいます。非常にローカルな「掲示板」というものに、とても遠い場所から来たアートを展示するということに意味があると思っています。
現在(取材は2022年9月下旬)の展示はベルギー在住のデニコライ&プロヴォーストというユニットの作品ですが、エディションはどんなものになる予定ですか?
オリビエさん
今回は2点のエディションを用意しています。一つは作品のポスターで、もう一つは2023年のカレンダーです。今回の展示作品は、ミミズが目の前の土を食べながら前に進み、消化、排泄をしながら道を作っていくという一連の行動を、未来・現在・過去という時の流れとともに表した作品となっています。そのため、時間と関連付けたカレンダーのエディションを企画しました。
元々2001年に発表された作品を日本語にして今回の展示のために作り替えた本作。
Keijibanでは、展示の後にオンラインでエディションの販売を行うという流れになっていますが、それはどのような想いがあってのことなのでしょうか。
オリビエさん
僕は日本において、アートは特別視されすぎていると感じています。アートは大事なもので、尊敬されるべきものなのですが、もっと人とアートの距離を近づけたい。高尚なものではなく普段の生活の中にあるものだということを伝えたいのです。
なるほど。
オリビエさん
展示の方法もそれに沿ったものですが、エディションの販売もその一環になります。著名なアーティストのオリジナル作品は、一般ではなかなか手に入れられないものですが、エディションは比較的安価なので気軽にアートを所有できるというのも魅力の一つです。
アナ・ジョッタ、「Loves me, Loves me not」, 2022年(Courtesy of Keijiban and the artists)
伝統的な注染という技法の中でも手間のかかる「細川染」で染めた手ぬぐいのエディション(5,500円)。
展示期間が終わるまでSNSなどにも作品の全体像があがらないので、鑑賞する側としてはワクワクさせられますよね。
オリビエさん
SNSの使い方はとても気を付けているところです。アート市場もデジタル化されている部分がたくさんあるのですが、作品は実際に存在しています。KeijibanのSNSで見ただけで「こんな作品なんだ」と完結してしまうと、それはアーティストに対して失礼だと思うんです。そのため、展示の詳細は実際に足を運ばないと見られないようにあえて最終日までアップしていません。
オリビエさんのお話しを聞いていると、アーティストや作品に対する尊敬の念を非常に感じます。Keijibanのアカウントのフォロワーも少しずつ増えているように思いますが、恣意的な拡散がされていないのはその想いが伝染しているのかもしれないですね。
オリビエさん
長年アートに携わっているので、その気持ちは強いと思います。もちろん、アーティストとの信頼関係にもつながってくることですから。
アーティストと深い関係を築いてきたオリビエさんだからこそできるプロジェクトなのだなと改めて感じました。
オリビエさん
Keijibanのロゴも、実はアーティストの作品から頂いたものなんですよ。シルヴィ・エイベルグというアーティストで、彼女にこの企画の構想を話すととても興奮してこのプロジェクトをモチーフにした作品をつくってくれました。元々は別の文章があって、その中から「Keijiban」という字を抜き出しているため、複雑な並びのロゴになっているんです。実際のKeijibanにも記してあるのでぜひ展示と合わせて見ていただきたいですね。
金沢の街でひっそりと行われていたのは、思っていた以上にビッグなアートプロジェクト。
でもその企画をするオリビエさんはアートに対して並々ならぬ敬意を持ちながらも、日常に寄り添うものであってほしいと願う素敵な方でした。
アートが遠い存在に感じていたあなたは、ぜひ街中散策のついでに足を延ばしてみてください。その気持ちが少し変わるかもしれません。
Keijiban
石川県金沢市高岡町18-13
TEL. 070-3410-2405
公式HP:https://keijiban.online/jp
Instagram:@kei_ji_ban
※こちらの情報は取材時点のものです。
(取材・文/西川李央、撮影/林 賢一郎)
オリビエさんはベルギーのご出身だそうですが、どういう経緯で金沢に来られたのですか?
オリビエさん
妻と一緒に住むことになった際、空いている友人の家を借りたのがきっかけです。妻はガラス作家として活動しているのですが、元々能登島で吹きガラスを学んでいたので、石川県に縁があったことも後押しになりました。 2012年から5年間金沢に住んで、その後ベルギーに渡り、2020年に戻ってきました。
展示の第一弾が2021年3月ですから、戻ってこられてすぐこのプロジェクトを始められたのですね。
オリビエさん
戻ってくると決めた時点で、金沢でなにかアートプロジェクトをやりたいとは思っていたんです。