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Kan Sanoの音楽的ライフ【観ずる日々】第18回:歌詞を書くこと

Kan Sanoの音楽的ライフ【観ずる日々】
新世代のトラックメーカーとして注目を集める金沢市出身アーティストKan Sanoの音楽的ライフをちょっと覗き見。

歌詞のようなものを書き始めてもうすぐ10年経つ。正確には“また書き始めた”と言うべきか。

10代の頃は自作の曲をギターやピアノを弾きながらよく歌っていた。ミスチルやビートルズに憧れて曲作りを始めたから、歌うことも歌詞を書くことも自然な流れだった。どんな歌詞を書いていたのかはあまり覚えていないが恐らく読むに堪えないものだったと思う。当時の自分にとってはサウンドこそがすべてで、歌の意味やメッセージ性はあまり気にしていなかった。基本的に歌詞は日本語で書いていたが、なかにはデタラメ英語や造語を使ったものもあった。実家には今も当時のデモテープや譜面が残っているが、とてもまだ開く気にはなれないし、できればあと20年は寝かせておきたい。

 

ジャズやブラックミュージックの魅力に心奪われ、ピアノの技術の向上に専念し始めた10代後半から徐々に歌う機会が減り、歌詞を書くこともなくなった。20代はピアニストとしてライブ活動をしながら、パソコンで作る打ち込みの音楽に夢中だった。作る曲はほとんどがインストで、ボーカルが必要な時はまわりのシンガーに頼んでいた。

 

再び自ら歌うようになったのは20代後半の2010年、Kan Sano名義での初アルバム「Fantastic Farewell」を制作中の時だった。自分の声をコーラス的に加えることでトラックに空気感を加えたい。そんな意図だったと思う。極端に小さなウィスパーボイスで歌い、それを何度も繰り返して声に声を重ねてみると、自分の声とは思えないような不思議な質感が突然生まれた。誰かに教えてもらったわけでも真似をしてみたわけではなく、自発的なアイディアから生まれたものだったから、この効果を発見した時はとても興奮した。同アルバムに収録の「Dream In」という曲が最初だったと思う。以降様々な曲でこの手法を使った。同時期に制作した曲「Elements Of Notice」もそのひとつだ。リリースされた楽曲としては恐らくこれが初めてだったと思う。友人のSauce81が企画したコンピレーションアルバム「COSMOPOLYPHONIC」に収録されている。ただ、この時点でもまだサウンドで音楽を捉えていたし、言葉は使っていなかった。

 

 

 

そのあと2012年にBennetthodes名義で作ったアルバム「Sun Ya」から英詞を書き歌うようになった。

 

 

日本語の歌詞を書くようになったのは2016年にリリースしたアルバム「k is s」からだ。制作は2014年から始めていて、「とびら」は制作初期の頃に作った曲のひとつ。

 

 

同アルバムに収録の「Magic!」を書いたのは2016年の春、夏頃だった。この二曲は言葉の顔つきがまったく違っていて改めて聴くとおもしろい。歌詞を書くことにようやく真剣に向き合い始め、試行錯誤を繰り返していた頃のムードが漂っている。

 

 

当時は尊敬するシンガーソングライターやラッパーの作詞の秘訣を少しでも知りたくて、インタビューや作詞にまつわる本をたくさん読んだ。正解はひとつではなく、みなそれぞれのやり方で言葉と向き合っていて、自分はどうすればいいものか、ますます分からなくなった。

 

とにかくたくさん書くしかなかった。10代の頃から自分の感覚を培ってきたメロディ、ハーモニー、リズムのように、自分の文体を見つけなければいけない。ピアノや作曲を独学で学び、とにかくひたすら毎日楽器を演奏し曲を書くことでスキルを磨いていた10代。先の見えないあの途方もなく長い時間、しかし僅かながら確実に上達していく日々を、30代からもう一度過ごすことになった。

 

たった今も制作中の新曲の作詞に頭を悩ませている最中だ。これからもこの苦悩はずっと続くのかもしれない。しかし以前より手応えのあるものを書けている実感はある。

 

上手く書けた歌詞は覚えやすい。これは自作の曲をライブで歌うようになってから分かったことだ。言葉数の多いラッパーの人たちが一体どうやってラップを覚えているのか、昔の自分にはまったく理解できなかったが、今ではなんとなく分かる。言葉と言葉の結び付きが強いほど次が出てきやすい。あえて繋がりのない言葉を選んだり、違う流れを作ろうとしている箇所は覚える際に注意が必要になる。この結び付きは自分の中だけで成立している場合もある。

たとえば「Flavor」の冒頭の歌詞、

 

目を閉じて見極めて
波紋を呼ぶよwaver
浮かべようか沈めようか
広がる甘いflavor

 

この4行は言葉としての行間の結び付きは弱いが、自分の中にあるひとつの映像的なイメージから連なって生まれているため、「目を閉じて見極めて」のあとは必ず「波紋を呼ぶよwaver」に続かなければいけない。これを他人に理解してもらうのは難しいかもしれない。言葉同士の結び付きを越えた発想の飛躍がありながらも、目に見えない繋がりが行間に漂う歌詞。これは前述した映像的なイメージに加えて、自分の声で発語した時の口ざわりや韻の踏み方も関係していると思う。

 

 

上の例の「ようか」のように2音のメロディに3文字入れるような言葉の乗せ方は、歌っていて英語のように響く気持ち良さがあり、好んでよく使っている。僕の声質は丸いトーンでまったりしているため、スピードが停滞しやすい。そのため、短いメロディにより多くの言葉をはめてスピードを出すことに最近はこだわっている。

 

体言止めはなるべく使わない、耳で聴き取れる言葉を使う、聴き取れない言葉もスパイスとして少し使う、メロディのスピードと言葉の意味が伝わるスピードのバランスを意識する、など、作詞にまつわるこだわりは他にもたくさんある。

 

「読み物」としての作詞にも、アルファベットの大小、漢字にするかひらがなにするか、英語にするかカタカナにするか、どこで改行するか、句読点を使うか、スペースを空けるか、行の長さのバランスなど、様々なこだわりがある。僕はSNSに投稿する日常的な文章にも同質のこだわりを持っているので、そういう性分なのだろう。人の書いた歌詞を読んでいても以前より好き嫌いがはっきりしてきている気がする。

小さなこだわりの蓄積で個性は生まれる。これは作詞も作曲も同じだ。好き嫌いは今後また変わっていくとは思う。

 

歌詞にこだわり重視しすぎると、必然的に文字数が増え、メロディとのバランスが崩れてしまうことがある。言葉だけで完結してしまうのはあまり好きではない。歌った時に表現が完成するのが僕にとっての良い歌詞だ。
いつか、20年後くらいに、極限まで削ぎ落としたシンプルな言葉だけですべてを歌い切ってしまえる曲を書けたらいいなと思う。

 

改めてビートルズの歌詞に注目してみると、ジョンレノンとポールマッカートニーのシンガーソングライターとしての違いがよく分かる。ジョンはいつも自分のことを歌う。一方でポールは架空の人物になったり、第三者が登場したり、いろんな曲を幅広く器用に書く。ビートルズ後期や解散以降にジョンが書いた曲のほとんどはオノヨーコについて歌っている。僕は基本的には自分の気持ちが入った曲しか書けないから、タイプとしてはジョンに近いと思う。

 

想像を膨らませられる余白のある歌詞が好きだ。もちろん歌詞を気にせず、ただサウンドを楽しむのもいい。実際のところ、僕もいまだにビートルズはほぼサウンドで聴いていて、歌詞の内容を分からず聴いている曲も多くある。それでも充分に楽しめるのが音楽の凄いところだ。しかし、一度歌詞の世界のおもしろさを知ると、音楽を楽しむ幅がかなり広がる。特に、日本語は英語より微妙な言い回しやニュアンスの違いで随分と意味が変わったりするからおもしろい。日本語詞を味わえる日本人に生まれてよかったと思う。

 

 

 

◯Kan Sanoの音楽的ライフコラム【観ずる日々】

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執筆者プロフィール

Kan Sano

石川県金沢市生まれ。キーボーディスト/トラックメイカー/プロデューサー 。バークリー音楽大学ピアノ専攻ジャズ作曲科卒業。FUJI ROCK FESTIVAL、RISING SUN ROCK FESTIVAL、ジャイルス・ピーターソン主催 World Wide Festival(フランス)など世界中の大型フェスに出演。 2019年アルバム『Ghost Notes』をリリース。テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」への出演でも注目を集めている。

HP:Kan Sano公式
インスタグラム:@k.an.s.an.o
ツイッター:@kansano
フェイスブック:@kansanomusic

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