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大人たちの座談会「フェティシズムと感覚」トーク書き起こし

アートや工芸、パフォーマンスなどの芸術には、表があれば裏もある。

 

2019年11月某日。深夜の新天地で開催されたトークセッション「裏てんぐ」。発起人は「kanazaWAZA研究所」の所長である澤田雅美さん。それぞれの視点から語られるフェティシズムと感覚。そして、タブーから見える本質とは?

 

澤田雅美(さわだ・まさみ)
「kanazaWAZA研究所」所長。文化やアートをテーマにしたプロジェクトや企画を多数開催。また「スタジオバハラ」主宰でもあり、自身もダンサーとして活躍しながら、数多くの生徒を抱えている。
kanazaWAZA研究所…石川文化の「技」にクリエイターの「WAZA」を掛け合わせ、新たな魅力と価値を発信するプロジェクト。
絹川 大(きぬかわ・だい)
ギャラリー「ルンパルンパ」店主。2011年に野々市市に開廊して以降、新進気鋭のアーティストのための実験や表現の場として、現代美術や工芸を中心に企画展を行っている。
東野理実子(ひがしの・りみこ)
「月刊ザ・テンメイ」元編集者。現在は「マルシェロロ金沢」のマダムとして、オーナーシェフのローラン・パケ氏を支えている。著書に「ダーリンはフランス人、しかもシェフ」。

 

左から澤田雅美さん、東野理実子さん、絹川大さん。

伝統工芸の光と影。

澤田:金沢市は世界的に知られる工芸都市。私たちが暮らす町には、アートや工芸の美意識や文化が根付いています。ただ、それはあくまで表の部分であって、その裏にはもっとエッジの効いたアートや工芸の形がある。裏というと聞こえは悪いけど、結局はどれだけ感情を揺さぶられたかなんです。

 

絹川:まず「裏とはなんぞや」ですよね。僕は東京や大阪でも展示会を開くんですが、最近は石川という地元のフィールドでは、もっと遊んでもいいのかな?と思うようになって。そこで目をつけたのが工芸。手はじめに数名の作家に依頼して、九谷焼のディルドや漆塗りのペニスバンド、ガラス工芸のボールギャグなどのSMの道具を作ってもらいました。

 

東野:絹川さんらしい面白い発想ですね(笑)

 

絹川:工芸品が生活に寄り添うものであるなら、食生活だけでなく性生活に寄り添ってもいいじゃないかと。他の芸術にはない工芸の良さは「実用的」なところにあると思ったんですね。「このグラスでお酒を飲みたい」と感じるのと同じで、「このディルドでアイツをいたぶりたい」とか。直接的な性妄想をかきたてるものを作りたかったんです。

 

澤田:まさに裏の部分ですね。

 

絹川:日頃から工芸における新ジャンルを確立したいと思っていて。「暴力での解決はなにも意味がない」というガンジーの思想(サティヤーグラハ)がありますけど、じつはその後にこう付け加えているんです。「ただし、心の中に暴力があるならさらけ出した方がいい。無知のマントで覆い隠すよりよっぽどマシだ」。その暴力をエロスに変えたのが私の趣旨。心の中にエロスがあるのならさらけ出すべきなんですよ。伝統工芸というスカしたマントで裏の部分を隠すよりも、さらけ出した方が本質が見えてくる。ものづくりの根底にはかならず性愛というものがあるわけで。それを覆いを剥がして、隠れたものをさらけ出すような展覧会をもっとやっていきたいと思っています。

 

東野:工芸もアートも心をえぐられないと記憶に残らない。えぐられた傷跡から新しいなにかが自分で生まれる。それくらいインパクトのある作品にもっと出会いたいですね。

 

トークセッションは数名の参加者を交えて行われた。

 

澤田:私たちは、実用的なモノに芸術的な意匠を施し、機能性と美術的な美しさを融合させたモノを工芸品と呼んでいます。伝統工芸というと「美」の部分だけフィーチャーされがちだけど、根本にあるのは「実」の部分。たとえば器ひとつでも、飲み物が喉に直接入るのか、口の中に広がるのか、フチの角度が計算されている。分かる人が分かれば良いものではなく、だれが体験しても良さを感じることができるものが工芸作品だと思います。

 

絹川:そうなんですよね。「光が強いほど影はまた濃くなる」というゲーテの言葉のように、全国から注目される金沢の伝統工芸には、そうした「光」と同じくらいの「影」があるはずなんです。その影の部分をすくいとって、工芸に落とし込んでいきたい。表層のきれいな部分だけしか見せないのはもったいないですからね。ビートルズだって、ポール・マッカートニーという光の対極に、ジョン・レノンという影があったからこそ売れた

 

東野:私たちは、ジョン・レノンにならないといけない(笑)

 

絹川:千利休しかり柳宗悦しかり、日本の工芸はいつも作る側ではなく使う側が、革新をもたらしてきました。伝統工芸は使い手のオーダーのもとに成り立ってきた文化なんですね。だからこそ僕は新たな提案をし、作家を焚きつけて、挑発をする。我々が作家を巻き込んで発信しないと、新しいものは生まれないと思っています。

 

澤田:ちょっとわかるかも。今、自然を表現した振り付けを頼まれていて。ダンスによって自分自身を表現するという気持ちは変わらないけど、人からのオーダーによって新たな自分が引き出されている気がします。

 

東野:そうやって、人や文化は成長してきたんですね。

 

「裏てんぐ」が開催された新天地の「kappa堂」

 

茶会とはSMである。

絹川:日本の伝統文化のひとつに「茶会」という、じつによくできたフォーマットがありまして。僕はその茶会自体にとてつもないエロスを感じています。釜で沸かした湯を椀に注いで、茶筅でかきまぜて泡を立てる。性行為以外の何物でもありません。それを人の手を介して、どろりとした液体をまわし飲むわけですよ。

 

澤田:乱行ですね(笑)

 

絹川:とはいえ、俗的なエロスとは一線を画す必要性はあって。余計なものをそぎ落として最後に残った一滴が芸術におけるエロスだと思うんです。

 

東野:なんでもかんでも猥褻なことをすれば良いわけじゃないですよね。じゃないと、ただの乱行になってしまう。そうしたエッセンスが工芸にも加わると幅が広がるのかな?

 

澤田:金沢は他の都市と比べても、芸術や工芸に関心のある人が多いと感じます。小さな街だからこそできることはあるし、もっと自由に発信できる場所が増えるといいですね。

 

絹川:石川県は日本のクリトリス。とても感度が高いし、そういった意味でも色んな可能性を秘めています。

 

東野:先日まで、絹川さんのお店でやっていた展覧会も面白かったです。

 

絹川:現役美大生で作家の内田望美さんの作品ですね。来場者と一緒にチョコレートを手で溶かし合って、内田さんがそれを舐め取るというパフォーマンスなんですが、じつは期間中「男性器に塗っても作家は舐めてくれるんか?」というメールがあったんですよ。もちろん断ったんですが、そういう人もいるのかと考えさせられました。あくまで「手」による比喩表現であるから芸術として成立するわけで、下半身までやってしまうとそれはもうただの性風俗なんですね。

 

東野:ライブ中のオノ・ヨーコが観衆にハサミを渡して「私が着ている服、どこでもいいから切って」というパフォーマンスをしたことがあるけど、それも音楽やアートを前提とした、相手との信頼関係があるからこそなんですよね。

 

絹川:マリーナ・アブラモヴィッチ(ユーゴスラビア出身のパフォーマンスアーティスト)もそうですよね。70年代の有名なパフォーマンスに「観衆にナイフやペンチなどを与えて、自分の身体に対して思うようにその道具を使わせる」というのがあって。最初はみんな手加減するんだけど、ナイフで身体を裂いて血を飲む人が出たり、どんどんエスカレートしていく。最終的には自前の銃を突きつけた人が現れて中止になりました。そこまで極端なものではないけど、光を遮った密室で茶をまわし飲む「茶会」というものは、当時からするとぶっとんだエンターテイメントだったと思うんです。

 

女性ならではの性的描写も過激に語られた。

 

絹川:丿貫(へちかん)という有名な茶人が、千利休を茶会に招いたことがあって。丿貫は落とし穴を作って、そこに利休を落とし、泥だけになったところで沸かしていた風呂に入れて、新しい着物をきせるという”もてなし”をしたんですね。それを受けた利休は怒るどころか感心したそうで。そういうぶっとんだ茶人がいたというのも面白い話ですよね。

 

東野:その昔、囚人を白状させるために雪の中を引き回し、足が凍傷寸前までいったところで看守が風呂に入れて足をマッサージしたという話を聞いたことがあります。そうするとそれまで黙っていた囚人が、ボロボロと話すようになったそうで。感情や感覚にも起伏が必要なんだと思いました。

 

絹川:苦痛を快楽に変えられるのは人間だけ。これは高度な社会性をもつ人間らしさのひとつだと思います。自分の体や精神の限界を試すというSMの世界も非日常的。普段は社会的地位が高い人がMだったりする。それって密室で日常をひっくり返すことに悦びを感じているわけで、本質的には茶会のそれと同じなんですよ。

 

澤田:極論をいうと茶会はSMプレイであると。

 

絹川:そこまでいうと怒られちゃう(笑)。それはさておき、非日常性というのは僕が運営するギャラリーのテーマにもなっていて。世阿弥の言葉に「突飛なものこそが芸事において有効だ」というのがあるんですけど、突飛なものは非日常ではなく日常の中に潜んでいるものだと思うんですね。だから工芸という身近なものから、突飛なものを追求していきたいんです。

 

SMと茶会について熱く語る絹川さん。

 

フェティシズムと感覚。

絹川:個人的にエロスの要素がないものは、アートや工芸とはいえないと思っています。

 

澤田:自分自身のエロスを引き出すのもダンスの大切な要素。とくにベリーダンスは男性のために踊るものという時代が長かったので、そういった面はより濃いかもしれません。そんな「人間らしさ」もこの踊りの好きなところ。私自身、恋人や片思いしている人に見られている方がいい踊りができるので、かならずショーには好きな人を呼ぶようにしています。

 

東野:何人もいるときは?

 

澤田:全員呼んじゃいますね(笑)。それぞれ目線を送ったりして。

 

絹川:そういえば、さっき茶会の話をして思ったんですけど、茶室に入るときって武士は刀を置くじゃないですか。そういう世俗の社会的な地位とかは外で全部脱ぎ捨てたうえで、茶室という密室で生身の人と人がやりとりをする。そういうところはセックスにも似てますよね。

 

澤田:非日常的な空間だから、ちょっとした緊張感を得られたりもして。それを考えると、恋人にはお茶を点てる女友達よりも、セフレを作ってくれた方がマシな気がしてきました。

 

東野:突き詰めれば会話もセックスですからね。

 

澤田:そうですよね。よく五感というけど、声を出す感覚もすごく大切だと思う。思いっきり声を出したいからカラオケにいくし、セックスのときも気持ちがいいから声が出る。自分の体の中から声を発する感覚って、結構大事な気がします。

 

絹川:これからの時代はテクノロジーが感覚を変容していくのかもしれませんね。今でも実際に触覚をつけてる人がいたり。そういう感じで人類が感覚を楽しんでいく時代がくるのかも。

 

澤田:水風呂に入ったときの抱きしめられた感覚も好き。そういう感覚が味わえるスーツとか作ればいいのに。

 

絹川:同じようなフェチを持ってる人って多いらしいですね。神奈川にサメやシャチに食べられるという被食体験ができるカフェがあるんですけど、これがすごく人気らしくて。巨大なシャチのオブジェの中が胃液(ローション)でどろどろ。そのなかに全身タイツで入って、真っ暗のなかで消化されてる感覚を味わうみたいです。

 

東野:なにそれ行ってみたい!

 

東野さんの編集者時代の体験談も面白かった。

 

澤田:フェティシズムというのは何かを崇めることではなく、崇めることで自分自身を活性化させて、自分の内面にフィードバックすることだと思っています。自分の中の空洞を埋めるというか。

 

絹川:フェティシズムの定義のひとつに「持ち運びできるような手頃な物体への崇拝」というのがあります。アニミズム(人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在する)となにが違うのかというと人工物であること。工芸に対する偏愛は完全なフェティシズムなんです。

 

東野:手や口を使って五感で味わえる。これほどエロティックで、フェティッシュなジャンルはありませんよね。

 

絹川:それを伝統というスカしたベールで覆ってしまっているのが本当にもったいない。

 

澤田:伝統工芸は昔のままの文化を受け継ぐことではなく、今という時代を通して次の世代につないでいくものだと思っています。だからもっと裏の部分もしっかり伝えないと、いつか軽薄なものになってしまいそうで。

 

絹川:ちょっと前に現代美術家のトム・サックスが茶会を開いたんですけど、これも興味深かった。本来の茶会のフォーマットを尊重しながら、彼自身のアレンジを加えていて。面白かったのは、にじり口の近くにライフルがかけてあること。どんなに身分が高い人でも、刀を外して頭を下げなくては茶室に入ることができない。というのが茶道のルールなんですが、彼はそれをライフルに置き換えた。

 

東野:私たちはスマートフォンを置いたりするのかな?昔のフォーマットを現代版にアップデートして、受け継ぐことも大事ですよね。

 

絹川:そうなんです。抑えるべきコアな部分を押さえていれば、ただのお遊びにはなりませんから。

 

(取材・文/吉岡大輔、撮影/林 賢一郎)

 

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