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古きを纏い、新たな旅へ。若きテーラーが実践するサステナブルな服作り。

金沢のファッション界に新たな風を吹き込む若きテーラーが、地元コミュニティで注目を集めています。デザインから仕立て、縫製まで一貫して行なっている桃山雅史さんが大切にするのは素材。古き時代から受け継がれた布や生地に息吹を吹き込み、現代の美的感覚とシンクロさせた作品(服)には、どこか金沢の文化や風土の匂いのようなものが感じられます。本記事ではそんな彼のストーリーに迫り、洋服作りに対する情熱や創造性、ファッションへの独自の視点を探りました。

 

こんにちは、BONNO編集部です。突然ですがみなさんは服を買うときに何を重視していますか?

 

デザイン?ブランド?着心地?値段?

 

かくいう筆者は全てのバランスを重視する派なのですが、40を超えても「これだ!」と思える服と出会ったのは片手で数えるほど。スティーブ・ジョブズがイッセイミヤケのタートルネックを着続けていたように、いつか相棒と呼べるような服と出会うのが永遠のテーマとなっています。

 

 

そんな話はさておき、我々が訪れているのは金沢市の“奥新竪”にある住宅街。金沢のファッション界隈で注目を集めるテーラー・桃山雅史さんのアトリエになります。服飾に携わる知人らとシェアをしているという古民家には、年代物のミシンやマネキン、様々な種類の布や生地がそこかしこに並べられていて、まさに服作りのアジトといった雰囲気です。

 

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受け継がれた古布を生かし、新たな価値を紡ぐ

よろしくお願いします!桃山さんの現在の活動内容について教えていただけますか?

桃山さん

大きく分けると3つあります。1つが洋服のお直し。お店を経営する方やバイヤーが仕入れた古着のほか、お店が顧客から補修やサイズ直しを依頼されたものが対象になります。

いわゆる職人仕事ですね。

桃山さん

そうですね。「祖父が着ていたジャケットをサイズダウンして欲しい」とか、おもにテーラーの技術が必要となる紳士服のお直しを承っています。

ふむふむ。

桃山さん

2つ目はゼロベースから洋服を作る制作の仕事。オリジナルのアイテムを作りたいショップさんや、新商品を開発したいメーカーさんなどが対象になります。そして最後が創作活動。自分のオリジナルブランドの服を作る仕事ですね。

どんな服を作っているんですか?

桃山さん

時代を超えて愛される日本の美しい生地を、丁寧に心をこめて仕立て直す。といったアプローチで洋服を作っています。

古布で仕立てた一着。

 

複数の古着や端切れを組み合わせた実験的な一着。

桃山さんはいつ頃からテーラーを目指すようになったんですか?

桃山さん

じつは高校時代はとくにファッションに興味はなかったんです。洋服を作り始めたのは大学1年の頃。高校までは制服だったけど、大学は私服での通学だから必然と何を着るか考えさせられるようになって。最初の頃はお店で買ったりしていたんですけど、どんどんこういう服が着たいと思うようになって、いつのまにか着る服は自分で作るようになりました。

そんなきっかけで!?

桃山さん

そうなんです(笑)。大学に入って一番最初にした大きな買い物がミシン。服作りに本格的にハマったのもミシンの楽しさを知ったからです。もともと子どもの頃からプラモデルを作るのが好きで、工作の時間はいつも最後まで残っていたし、性に合ってるのかもしれませんね。

手で何かを作るというのが好きだったんですね。

桃山さん

そうですね。僕が生まれ育った高岡市という場所には、銅器だったり漆器だったりクラフトの文化が根づいている。そういった環境の影響もあるような気がします。

人のために服を作るようになったのはいつ頃からですか?

桃山さん

初めて自分が作った服を周りにお披露目したのが大学4年生の頃。一時期留学生の寮に住んでいたことがあって、海外の学生を相手に展示会っぽいことをしてみたんです。それが思いのほか評判で、それから自分のための服作りではなく、人が着る服作りを意識するようになりました。

そうなんですね。

桃山さん

それから大学在学中に勉強の意味を込めて色々な服屋さんに通うようになったんですけど、デザインのことには詳しくても、生地や素材に関して詳しい人があまりいなかったんです。それがとても疑問に感じて、もし自分が卒業後も洋服作りを続けると決断したときには、まずは服の材料に関する基礎的な知識が身につけられる会社に就職しようと考えていたんです。

僕もここ数年はどういった素材が使われているかをより気にするようになりました。素材は着心地にも大きく関わってきますもんね。

桃山さん

そうなんです。僕自身は洋服作りを始めてから2年ほど経って、服の全体像というか構造がようやく理解できた時に、素材について深く考えるようになりました。ショップに足を運んでは、服の生地を手で触って、どんな素材が使われているかを予想してから、品質表示タグを見て答え合わせをするといった"遊び"もよくしていましたね。

相当マニアックですね!

桃山さん

そうですね(笑)。でも当時はそれくらい素材のことが知りたくて。「これは綿40%の麻60%の手触りだ」なんてことを毎日のようにやってました。そんなことを3、4年続けていると、今度はその素材をどう活かすかって頭に切り替わっていたんです。

転機となったイタリア・ミラノでの修行

大学卒業後はどういう進路を取ったんですか?

桃山さん

県内の繊維メーカーに就職しました。そこで2年ほど働いた後にフリーになって、2019年には「Highlonesome」という新竪町の古着屋で2年ほど働きました。「Highlonesome」では、世界各国から集められた古着をリメイクする作業を担当していたのですが、壊れたりほつれている部分を、魅力的に修復していく。そういった技術を学ぶことができました。

現在はフリーで活動していますけど、意識していることはありますか?

桃山さん

自分の中でひとつの転機になったのが昨年春のイタリア遠征でした。本場ミラノで20年以上のキャリアがある井上勇樹さんの工房にお世話になったのですが、そこでは服に対する考え方が大きく変わるくらい、本当に色々ことを経験することができました。

その中で一番印象的だったのは何ですか?

桃山さん

井上さんから頼まれた作業を何回かやり直すことがあったんです。何回やり直してもオッケーをもらえないし、僕自身もしっくり来ない。それを繰り返しているうちに「オッケーもうこれでいいよ」と声をかけられて。おそらく井上さんの最低ラインに乗ったタイミングだったのでしょうけど、自分の現在地をまざまざと感じさせられたというか、師匠との間にある技術的な大きな壁を見せつけられたというか。それがとてもショックで。それまで独学でやってきたので、余計に将来のテーラーとしてのあり方を考えさせられました。

こちらのジャケットは桃山さんの私物。ミラノの蚤の市で手に入れたものを自分サイズに仕立て直したのだそう。

 

イタリアから帰国後にはじめて仕立てた一着。

洋服作りで一番にこだわっていることは何ですか?

桃山さん

明確なコンセプトみたいなものはないし、憧れのブランドとかもないんですけど、自分の中に蓄積されている今まで買った古着や服の優れた要素を、ベストな形で素材に落とし込みたいという気持ちがあります。今の自分にはまだ足りていない部分があるし、だからこそ洋服作りが面白い、楽しいと感じられているんだと思います。技術の探究というのが一番の軸になっていますね。

デザインに対するこだわりはありますか?

桃山さん

パターンから縫製まですべて行う僕にとって、デザインは技術の一部という考え方です。素材や着心地も含めて、着る人の思いにどれだけ寄り添えるか。デザインにこだわらず、目に見えるもの以外の部分を大切にしたいですね。

最後に桃山さんの今後の目標について教えてください。

桃山さん

テーラーをはじめとする技術の探究を続けていくことです。これは自分一人で没頭するという意味ではなく、人との関わりでも技術を高めていきたい。色んなジャンルの方との交流から得られる学びは多いですからね。長期的な目標としては、日本にこだわらず海外での展開も視野に入れたいと思っています。これは洋服作りを生業にしようと決めたときから掲げている目標のひとつ。そういった意味でも人との関わりは大事にしていきたいと思っています。

桃山さんが大切にする襤褸。地元のとあるご婦人から受け継いだのだとか。

 

一枚一枚にストーリのある古布を受け継ぎ、新たな価値を紡いでいく。BONNO編集部はこれからも桃山さんの活動に注目していきたいと思います。

 

 

Instagram:@tao_san80

 

 

撮影:林 賢一郎

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