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爆裂地方都市⑨|失われた金沢プレイマップ・アーカイブス

僕らのローカルシティポップ【爆裂地方都市】
爆裂地方都市・金沢の地から、ホコリにまみれた名曲から知られざる新曲までを掘り起こす!石引のカレーマスター・モカさんがカレーの合間にしたためた〈俺だけのディスカバリー〉がここに。

 

2020年は僕が金沢に引っ越して20周年。前は記念に何かイベントでもやろうかなと考えてたけど今年は皆さんとご多聞に漏れずそれどころじゃなくなってた!金沢でもそこそこ中年、いや中堅になってきたものの未だ他所者感覚が抜けない僕ですが流石に20年も住んでたら否応無しに街並みの変化を感じます。

 

ボンノにも「石川県開店閉店まとめ2020」という街ネタコーナーありますが、街を歩いてたら新しくできたお店を発見して「あれ?あの場所前は何の店だったっけ?」ってなることありますよね。動画配信やサブスクリプションが定着する以前はよく行ってたTSUTAYA有松店も今年6月いっぱいで閉店(大桑へ移転)。あそこは新譜よりもすでに廃盤になってるような旧譜をレンタルした思い出あります。ちあきなおみの6枚組BOXセットもレンタルしたなあ。

 

あの場所はTSUTAYAになる前は「ハイパーメディアストアGROOVE!」っていうCDやビデオ販売&レンタルとゲームや書籍を販売するというTSUTAYAと同じ形態のお店でした。おそらく音楽愛に溢れるバイヤーさんたちが商売度外視で好き勝手に暴走オーダーしたであろうと思われるCD&アナログのマニアックな品揃えが見事で「一般的な人が来る地方の大型店でこんなの売れんだろ!」というようなインターネット黎明期では誰も知らない海外のインディーズバンドのアルバムが試聴機に入っていたので個人的には興奮して鼻血が出るほどでしたが暴走しすぎたようで21世紀になったかならないかという頃に閉店。閉店セールの時は北陸の若い音楽マニアが大集結したそうで、今でもGROOVE!の話題になると「あそこはヤバかった」「あそこで洗礼を受けた」という40歳前後のDJやミュージシャンも少なくありません。スタッフや客の証言で構成された『GROOVE!とその時代』という本を誰か書いてくれ!当時の僕は有松のGROOVE!から横川の山蓄に行ってさらにサンディスクに寄るというルーティンを週1でやってました。レコードジャングルからのクロスロードレコードという尾張町ルーティンもやったもんです。あ、YouTubeにGROOVE!金沢店のCMがあった!

 

 

ポプラ片町店も10月いっぱいで閉店。ポプラになる前は「純喫茶ぼたん」ていう昭和21年創業の老舗で昭和の喫茶店好きなら誰もが胸ときめく雰囲気の名店でした。深夜まで営業していたのでその昔は片町のグランドキャバレーやナイトクラブで演奏していたバンドマン、ジャズマン、踊り子さんやシンガーの休憩所としての役割も担っていたそうなので、女の子が1人で行ってInstagramにアップするような場所ていうより夜の街の大人が集う場所でもあったのですね。

 

ぼたんが閉店するとき当時金沢で古道具屋をやっていた友人と「ぼたんの跡地がコンビニかぁ。あの椅子やテーブルや食器やランプシェードはどこに行っちゃうんでしょうかねえ。」なんて話してたもんですが、「喫茶竹屋」店主の12年前のブログによると店の備品は常連さんたちで分け合ったようで、竹屋店主の橋本さんも『水入れ、レモンスカッシュ用グラス、ショットグラス、メニュー表、ナプキン、マッチ』をいただいたとのこと・・・うらやましい!ぼたんは跡形もないけどお店の形見はどこかでまだ現役で使用されてると思うと他人事ながらも何だか嬉しいです。

 

今年金沢市の寺町に新しくできた人気のパン屋さん「坂の上ベーカリー」のオーブンも、店主がお亡くなりになって惜しくも閉店された「寺町大丸堂」のオーブンを引き継いでるそうですが、坂の上ベーカリーの店主が大丸堂で修行して大丸堂の味を引き継いでるわけじゃないそうです。それでも同じ街で大丸堂オーブンが毎朝忙しく働き続けているのは良いことですよ。

 

そういえば喫茶ぼたんの斜め向かいには「オーレ」ていうこれまた昭和レトロな喫茶店があって営業時間が何と朝9:30から翌朝5:00まで、週末は5:30までで年中無休というロングラン営業で軽食、喫茶に加えてお酒もあったのでクラブイベント終わりで時々行ってました。どういうシフトで営業してたんでしょうか。っていうかオーレでは酒しか飲んだことないかも・・・喫茶店が3つくっついたようなやたら広い店内だった記憶があります。今更ですがぼたんとオーレの内装や雰囲気は絶対に再現できないものだったので居抜きでそのまま使えなかったのかな?っていうくらい僕の中では重要文化財。

 

※加えて金沢のディスコ、クラブ史も記憶が鮮明な遊び人だった誰かまとめて欲しい。知りたい!

 

竪町通りにあるストリートアパレルブラント「ステューシー」の場所も僕が金沢に来た時は「砂場」という大正7年創業の蕎麦屋だったよなぁ。あと竪町と柿木畠の間に鰻屋があってJO-HOUSEが石引の今の場所に引っ越した日はそこで景気付けに祝杯をあげて鰻重を食べたけど何ていう店だったっけ?確か生簀(いけす)があったような。ネット検索しても出てこないし余計に気になる!・・・とか何とか20年間で無くなったお店を思い返してたら、こういう記録ってのは誰かの思い出の中に記憶としてだけにあって跡地に新しい店が出来て時が過ぎたら忘れ去られてしまうもんなんだなあとちょっと寂しくなってしまいます…ヤッホー!

 

逆にそういう目線で見たら昔々に発刊して役目を終えたタウン誌やガイドブックってのは金沢生活途中参加でヨソ者の僕の中では当時を知る貴重な資料として非常に価値あるものとして重宝しています。

 

JO-HOUSEに寄贈してもらった1977年と1979年の金沢美術工芸大学の学園祭「美大祭」のパンフレットにも美大祭恒例の仮装行列のカーニバルコースの道順を描いたイラストマップが掲載されていて、40年以上前の当時の石引、小立野や繁華街には何処にどんな店があったかが分かります。77年のマップではJO-HOUSEはまだ石引でなく片町で、今のトンバラ宇宙軒の通りでした。第七ギョーザもまだ杜の里じゃなくて石引交差点にありますね。いや~パンフレットの協賛広告を見てても楽しいです。

 

美大祭1977年パンフレットより

 

美大祭1977年パンフレットより

 

美大祭1977年パンフレットより

 

美大祭1979年パンフレットより

 

先日金沢駅地下で開催された『いしかわブックフェス』で購入した古本「くいしん坊城下町金沢~評判あの店この店」という1982(昭和57)年発売のガイドブックにも当時の近江町市場のマップとお店がイラストで紹介されててこれも今となっては貴重な資料。そしてこの本に掲載されてる「コンピューター寿司・椿」が気になり過ぎます。全国初のコンピューター寿司とのことで、当時のテクノポップ・ニューウェーブブームに便乗したんでしょうか。当時行ったという人の証言を聞きたいもんですが1982年で寿司屋に行ってた人なんて少なくとももう65歳超えてますよね。最近できた「変なホテル」や変な名前の高級パン屋さんも後世に伝えるために記録しておいたほうがいいです。

 

くいしん坊城下町金沢~評判あの店この店(1981年/能登印刷)

 

1981年の近江町市場市場イラストマップ

 

コンピューター寿司 椿

 

お隣の富山ではアーカイブ活動が活発です!富山のインディーズレーベルTOKEI RECORDSも温故知新の精神で既に動いている!彼らの『過去に地元を拠点に活動していたバンドをYouTubeで紹介していく、その名も「BACK TO THE PAST」です!今では簡単にバンドのライブ映像や音源を見たり聴いたりできますが、まだネットが普及していない時代に活動していた地元のバンドをたくさん紹介していければと思っています』という声明もまさにそういうこと…シンパシー表明します!

 

富山のライター、ピストン藤井先生も先日閉店した創業55年の日本海食堂をまとめた郷土愛バカ一代特別号『飛び出せポンコツ!なくせインテリジェンス! 日本海食堂大百科』を刊行。「ドーランの下に涙の喜劇人」とでも表現したい内容で閉店する店を笑って見送りたい、けど忘れないでほしいという気概が伝わってきました。行ったことないお店に思いを馳せると同時に著者の食堂に対する想いさえも愛しく感じます。里山社からも通販もできますしJO-HOUSEのご近所、石引パブリックでも取り扱いしています。

 

ピストン藤井著/郷土愛バカ一代特別号『飛び出せポンコツ!なくせインテリジェンス! 日本海食堂大百科』(2020年)

 

そういえば、ピストン藤井こと藤井聡子先生の著作『どこにでもあるどこかになる前に』の表紙カバーの裏には藤井さんの活動範囲でもある地元富山の富山駅前街なかMAPのイラストが描いてありました(このMAPは本を買って見てネ)。うーん、やっぱ文字やイラストや写真、歌でもいい、その場所や人や気持ちや想いを形にして「残す」って大事なことなんだな。形にすれば40年後の僕みたいな人にも発見されるかもしれない。

 

藤井聡子著/どこにでもあるどこかになる前に(2019年/里山社)

 

40年後の僕といえば金沢市柿木畠のジャズ喫茶&ライブスペース「もっきりや」平賀正樹マスターが1981年に発刊した『話題の喫茶店を作った青春』を古本屋で入手。大学を中退し東京から帰京した平賀青年が21歳で始めたもっきりやの開店10周年を記念した自伝的エッセイを40年後に僕が読んでいます。そしてこの本も表紙をめくったら1981年当時金沢カルチャーを発信していたお店のイラストマップが。藤井さんの本と繋がった。地図を見るともっきりやの2階は伝説のレコード店「パイドパイパーハウス金沢店」。JO-HOUSEは昔は「じょーHOUSE」って表記だったんだなあ。もっきりや来年は創業50周年!1982年から2021年をまとめた次作を発刊してください。JO-HOUSEは49周年。がんばらなくっちゃ。

 

平賀正樹著/話題の喫茶店を作った青春(1981年/青年書館)

 

1981年頃の金沢カルチャースポットマップ

 

 

 

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執筆者プロフィール

モカ
学生街のブラッスリー『JO-HOUSE 石引』2代目カレーマスター/私設公民館『じょーの箱』大家さん。もうすぐ若者ぶらずにおっさんの武器も使えるいちばん旬なとき、さみしさは昔よりも現実味おびてきたね…でも明日はくるSweet Sweet 44 Blues。

URL:JO-HOUSEホームページ
ツイッター:@MoCurry
フェイスブック:@モカ ジョーハウス
インスタグラム:@mocurry

 

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